硬貨には記憶がない
硬貨を投げて表が5回続いたとしても、次に表が出る確率は変わらず2分の1です。硬貨には過去の結果を蓄える仕組みがないからです。それでも人は釣り合いが取られるはずだと感じ、その感覚を根拠に判断します。これを賭博者の誤りと呼びます。硬貨が正常だという前提がある限り、連続の記録は次の結果について何も教えてくれません。
硬貨やさいころは前の結果を覚えていません。それでも2分の1に近づく理由、1%の確率の本当の意味、ホットハンドの錯覚、誕生日問題で見る直感の限界をまとめました。
硬貨を投げて表が5回続いたとしても、次に表が出る確率は変わらず2分の1です。硬貨には過去の結果を蓄える仕組みがないからです。それでも人は釣り合いが取られるはずだと感じ、その感覚を根拠に判断します。これを賭博者の誤りと呼びます。硬貨が正常だという前提がある限り、連続の記録は次の結果について何も教えてくれません。
多く投げれば表の割合が2分の1に近づくのは事実です。ただしそれは、これまでの偏りをこれから埋め合わせるからではなく、試行の回数が増えるにつれて序盤の偏りが全体に占める割合が小さくなるからです。5回の連続は消えるのではなく、埋もれるだけです。この違いを区別すると判断が変わります。
抽選の確率が1%なら、100回ほどやれば1回は出そうに感じます。実際には100回やっても一度も出ない確率が3分の1を超えます。低い確率の試行は期待される回数も多い一方、ばらつきがはるかに大きく、平均だけを見て計画すると大きく外れます。
人は本物の無作為な並びを見ると、偏って固まっているので無作為らしくないと感じます。実際の無作為には連続した区間が自然に生まれるからです。逆に人が意図して作る「無作為らしい」並びは、連続が少なすぎます。ある結果が変に見えるという感覚は、操作の根拠にはなりません。実際、人に硬貨投げの結果をでっち上げてもらうと、同じ面が長く続く区間をほとんど書きません。
確率の絡むゲームで通じる原則は単純です。過去の結果から次を予測しないこと、低い確率には平均ではなく最悪に近い場合を基準に計画すること、そして始める前に上限を決めることです。この文章は確率の働き方を説明するもので、どのゲームをどれだけやれという話ではありません。
ギャンブラーの誤謬とは逆向きの錯覚もあります。続けて成功すると、今は運の良い流れだからこれからも続くと信じることです。実力や調子が関わる人間のスポーツのような場面では、こうした流れがある程度あり得るという研究もありますが、硬貨・サイコロ・ガチャのように結果が独立した試行には、そんな流れは存在しません。過去の結果で次を占うのは、どちらの向きでも同じ誤りです。
一つの部屋に何人集まれば、誕生日が同じ二人がいる確率が半分を超えるでしょうか。多くの人は百人以上を思い浮かべますが、実際には23人で半分を超えます。直感は自分と誕生日が同じ人を探す問題にすり替えて考えますが、実際の問題はどの二人でも同じならよいので、比べる組の数が人数よりずっと速く増えていきます。偶然の一致に見える出来事の多くは、このように思ったよりありふれています。
確率は公式より自分でやってみる方が早く理解できます。硬貨を二十回投げて記録してみると、同じ面が四、五回続く区間が思ったより頻繁に出てくることが分かります。ランダム抽選の道具で同じ条件を何度も繰り返し、結果を数えてみるのもよい方法です。数回だけのときはばらばらだった割合が、回数が増えるにつれて理論値の近くに集まっていく様子を目で見ると、平均とばらつきの違いが感覚として残ります。